終活とは何ですか?終活のことを自由に記してみました。

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終活とは、人によって異なります。100人いれば、100通りの終活があるでしょう。今回は、そんな「終活」について説明いたします。

終活とは?

終活については、既に、ご存知の方がいらっしゃるとは、思いますが・・・
10人よれば10人の終活、100人よれば100人の終活があるでしょう。

そもそも、こうでなければならないというスタイルに拘泥する必要はないと思います。

なにも死の準備だけが「終活」ではなく、生きて来て本当に良かったと言って人生を終えて行く準備と考えてはいかがでしょうか。

そうすると、その人、その人によってやり残している事が色々あると思います。

例えば、身辺整理にしたって、その方の年齢により、さまざまな思い出が掛け巡って来るだろうし、いい知れない懐かしさが込み上げてくるでしょうし、会っておかなければならない人や訪れてみたいところがあれば行ってみるのもよし、何でもいいのです。

自分のやりたいことから取り組んで行けば良いのです。

終活ノートとは?

「終活=生きて来て本当に良かったと言って人生を終えて行く準備」その為に、いろいろな項目を自分自身で考えて書いて行かれれば良いのではないでしょうか。

一般的には、エンディングノートと呼ばれていますが、なにもその様なネーミングでなくても良いのです。
表現を言い換えるのであれば、アジャスメントノート(整理ノート)としてもよいのです。何でもよいのです。ご自分で考えられたもので良いのです。

それだけ、形にとらわれる必要はないということです。

終活ノートに書く内容例はありますか?

一般的に終活ノートと遺書とは違うということを認識しなければならないと思います。ひと口にいって、その違いは、法的拘束力の違いかと思います。

例えば、葬儀がどうとか、お墓がどうとか、自分の好きな曲がどうとか言いますが、一種の商業ベースに乗せられていることも事実ではないでしょうか。

好きな曲があれば日頃から十二分に聞かれれば良いのです。その他のことも家族の人と納得のゆくまで話し合いをなさればよいのです。

問題は、家族のいらっしゃらないシングルの方です。ご自分の終焉(しゅうえん)の希望を託する為に大変大事なことだと思います。

しかし、そのような場合も堅苦しく考えずにこうして、こやってほしいと簡潔に書かれればよいと思います。ここでも一つ考えておかねばならないのは、変に商業ベースに乗せられないことです。

終活ノートに書く内容は何も類型化する必要もなく決まった形もありません。ご自分の必要とする事項を書かれれば良いだけのことです。

とは言っても、「何を書いたらいいの?」とお思いになられる方もいらっしゃると思いますので、参考程度にいくつかあげておくことにします。

・個人に関すること
・医療や介護に関すること
・葬儀やお墓に関すること
・財産に関すること

※ただし、遺言に近いものは、専門職の(弁護士・司法書士)にお任せしましょう。

浄土真宗の教えから終活を見ると?

死という問題は、皆さんご存知のように何年先のことではなく、常に「たった今」問題ということです。

そこを蓮如上人は、「仏法には、明日と云う事はあるまじき由の仰に候。」とおっしゃっておられます。つまり、「死という問題は、常に今であって、その今は、次につながっているとは限らない今である。」ということです。

このことに気付かされて生かされていくことが究極の「終活」ではないでしょうか?

話は、ガラッと変わりますが、葉隠れ流の山本常朝にしても平生から武士道とは、「死ぬことと見つけたり」と言っています。

だから、「終活」という問題もたった今私が成立している場を除いては成立しません。

例えば、どこか旅行に出掛ける時は、よそ行きの服を着ますが、「終活」という問題は、普段着の今を除いてはありえません。

まとめ

長いような短いような人生、何が起こっても不思議ではありません。また、自分の思うようにならないのも人生です。そんな自分の人生を振り返って見るのも大事なことです。

そして「終活」というものを通して残された人生を無駄に過ごすことなく周りの人と語り合ってゆくことも大事なことです。そこには、心から「おかげさんでありがとう」という言葉が出て来るような爽やかな人生を送りたいものです。

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この記事を書いた人

【ぶつぶつ雑記編集部】 坊守

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