六波羅蜜(ろっぱらみつ)人間としてのマナー

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布施 (ふせ)

私たちは、お念仏を頂くことによって、人間としての身だしなみを身に付けさされます。例えば、お釈迦さまが、摩訶迦葉(まかかしょう)に半座を譲ったことに端を発し、仏教では、「半座を分ける」と言うことをいいます。「ここへおかけなさい」とお念仏を申す人には、人間のマナーとしての布施の心が身にそなわります。これらの人は、良い匂いがします。

持戒 (じかい)

これは、戒を守ること 大真面目に考えるのではなく、人間としての掟を守ることです。例えば、犬の散歩を見たときに、手ぶらで何も持たないで平気で犬の散歩をさせている人をよく見かけます。
これなんか…どうでしょうか… マナー違反ではないでしょうか。
それから、この間からテレビで報道されています覚醒剤の問題等これらは、やはり人間としての掟を破ることです。これらの人は、嫌な匂いがします。

忍辱(偲ぶ) (にんにく)

※ さまざまな苦難や他者からの迫害に耐え忍ぶことを忍辱(にんにく)という
例えば、パワハラ、セクハラ、ストーカー、などの身だしなみに欠けている人などですが、自分の権利を主張するなら、相手の権利も尊重しなければなりません・・・ここに偲びあうということがあるのです。つまり、人間としての見だしなみであるところの相手を労わるという身だしなみです。

精進 (しょうじん)

これは、人から褒められるような私ではないということに気付く心です。つまり、自分自身を否定してものを見れるようになって、はじめて人間としての道が開けてくるのです。それまでは、おそらく私が先、私が先の私です。

禅定 (ぜんじょう) つのる欲の虫にはきりがない

※ 心身ともに動揺することがなくなった一定の状態
これは、欲をつのらせて、心の乱れた生活を続けていると心が、ざわついて(心の中にノーイズが入る)荒んだ生活となり、愚痴の多い生活になります。自分に都合のよい人は良い人で、都合の悪い人は好かん人となってしまいます。勝手なもんです。

智慧 (ちえ)

これは、身をたしなむということです。お念仏を頂き『お浄土』の匂いを嗅ぎつつ、身をたしなみ散らかしぱなしの生活ではなく、自分自身の心を整理していく生活が本願に照らされることによって与えられる生活であります。そして、そこに心の休まる人間としての本当ぬくもりのある「ふるさと」から送られてくる答えの感じられる生活が身についていくのです。それは同時に『お浄土』を願へよという声なき声であります。

また、『お浄土』は、七つの宝で飾られてあると『阿弥陀経 あみだきょう』の中に説かれてありますが、この七が大事なことであります。この「七」とはすなわち「六道」を超えることであります。つまり、「六道」とは迷いの世界をあらわしています。だから、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六を超える一歩が七であります。つまり、私たちは、お念仏を頂くことによって、この迷いの六道の世界を一歩足りとも出れない私を『お浄土』からの声なき声が今私に語りかけられているのです。

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この記事を書いた人

【ぶつぶつ雑記編集部】 住職

一緒に考え、対話することを大事にしています。