「角隠し」のお話

032303

「角隠し」のお話

山陰に才市さんという篤信(とくしん)な方がおられました。

才市さんは幼少の時、両親と生き別れ、若い時は、船大工として働き、年を取ってからは、下駄屋の職人として働きました。

この才市さんの肖像画で有名なお話があります。

彼は、大の写真嫌いであったのですが、ある人が後の形見にと言うので、肖像画を描いてもらいました。
しかし、その肖像画を見るや否や「この画は自分ではない」と言いました。

「何故ですか?」と尋ねると…

「本当のわしの顔なら、頭に角があるはずじゃ、角のないのはわしではない!!」と言って跳ね除けたそうです。
それで仕方がないので、画家が角を描いてみせると、「そうそう!これこれ!これこそが、本当のわしの姿じゃ」と言ったそうです。

実は、昔、浄土真宗の女性のご門徒がお寺にお参りするときに被った物が「角隠し」であったそうです。
目には、見えないけれども立派な自己中心の目しか持ち合わせない「角の生えた私」なのであります。

したがって、仏前結婚の時の「角隠し」は、角のある邪まなものの見方しかできない私であるということです。
女性だけが被るからといって、男性には「角が無い」ということではありません。
共に、角の生えたものが夫となり、妻となってくれたことを喜び、これからは、角がある者だけれども、角を出さない人生を目指して生き抜いて行くことに出会うのが仏さまの教えなのです。

つまり、その教えこそが、仏前結婚の真髄(しんずい)で、夫婦共に手をあわさせて頂く生活が始まることであります。

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この記事を書いた人

【ぶつぶつ雑記編集部】 住職

一緒に考え、対話することを大事にしています。